室町時代は、後醍醐天皇足利尊氏の対立から始まった。後醍醐天皇は、天皇中心の政治に戻そうと建武の新政と呼ばれる王政復古政治を行った。これに対して、武士である足利尊氏らが反発して、後醍醐天皇とは別の天皇を擁立した。この結果、後醍醐天皇は吉野へ逃れ、天皇が2人いる状態となる。この時代を南北朝時代と呼ぶ。

 

この後、足利尊氏は征夷大将軍に任命され、室町幕府を開くことになるが、弟である足利直義と対立して、足利氏の中で内紛が発生する。これを観応の擾乱と呼ぶ。2代将軍の足利義詮の時代も、室町幕府の内政は落ち着かず、不安定な時代が続いた。

 

室町幕府3代将軍である足利義満の時代に、室町幕府は最盛期を迎える。この時代より、明との間で勘合貿易を行われるようになり、交易が活発になった。

 

6代将軍は、くじ引きで選ばれた足利義教である。この将軍は恐怖政治を展開して、将軍の権威を高めようとした。この恐怖政治は次第にエスカレートしていき、最終的に6代将軍は、赤松満祐によって暗殺されてしまう。

 

8代将軍である足利義政の時代に、将軍の後継者争いをきっかけとして応仁の乱が勃発する。もともと、8代将軍が弟である足利義視に将軍職を継がせようとしたところ、8代将軍とその妻である日野富子の間に足利義尚が生まれたために、後継者争いが本格化する。この争いに、守護大名同士も争いに加わるようになり、事態が一気に複雑化する。西軍には山名持豊、東軍には細川勝元が加わった。また、三管領の一角であった畠山氏の争いも、この乱に乗じて活発になる。

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