日本における領土問題として、北方領土問題があげられます。北方領土問題は、北方地域の4島(歯舞群島・色丹島・国後島・択捉島)の領有権をめぐって、日本とロシアが対立している問題です。今回は、この北方領土問題について、解説していきます。

 

1. 北方領土問題の推移

 

北方領土問題の経緯を時系列に見てみると、まず1854年に日露和親条約が結ばれ、択捉島と得撫島の間を日露間の国境とし、樺太を両国の雑居地としました。その後、1875年に千島樺太交換条約が結ばれ、樺太をロシア、得撫島から占守島までの千島列島を日本の領土とします。

 

1905年、ポーツマス条約により、ロシアから樺太の南半分を得ました。第二次世界大戦中の1943年、米英中の間でカイロ宣言がなされ、連合国は領土不拡大の原則を明らかにします。

 

そして、1945年、米英ソの間でヤルタ協定が結ばれ、ソ連の対日参戦の見返りに、樺太南部と千島列島をソ連領にすることが決定されました。同年にポツダム宣言が行われ、「日本の主権は本州・北海道・九州・四国と連合国が定める諸小島に限る」とされます。

 

また、ソ連が対日参戦し、千島・北方4島を占拠した。1951年、サンフランシスコ平和条約が連合国と日本との間で結ばれ、日本は千島列島(北方4島を含まない)などに対する権利を放棄しました。ソ連とポーランドは同条約に未調印の状態でしたが、1956年に日ソ共同宣言が行われ、日ソは国交を回復し、ソ連は歯舞群島と色丹島を日本に引き渡しが決められました。

 

しかし、グロムイコ書簡により、ソ連は上記の島々を引き渡す条件として、「日本領土からの全外国軍隊の撤退」を加えます。1973年、日ソ共同声明がなされ、「未解決の諸問題を解決して平和条約を締結する」としました。

 

1991年、ソ連が崩壊し、ロシアが引き続き北方4島を占拠します。1993年、東京宣言が行われ、「領土問題を解決して平和条約を締結する」とし、2001年にイルクーツク声明がなされ、日ソ共同宣言、東京宣言の再確認をしました。しかし、現在に至るまで、領土問題は解決されていません。

 

2.北方領土問題に対する日本の主張

 

日本側の主張として、

 

①日露和親条約、千島樺太交換条約、ポーツマス条約を通じて一貫して日本の領土である

 

②ヤルタ協定は秘密協定で、日本は参加していないので拘束されない

 

③サンフランシスコ平和条約で放棄した千島列島に北方4島が含まれないことは、条約起草国の米英が認めている

 

点が挙げられます。日本の主張に対し、ロシアは、「米英ソの間のヤルタ協定で、ソ連の対日参戦の見返りに千島列島をソ連領とするとされている」と主張を展開しています。

 

北方領土は、第二次世界大戦前までは、「日露間」で条約が結ばれ、領土内の白黒がはっきりしていました。その後、戦中のヤルタ協定により北方地域はソ連に帰属すると決められましたが、戦後の米ソ対立(冷戦)により、サンフランシスコ平和条約にソ連が調印しませんでした。また、「千島列島」の範囲をめぐる日ソ間の解釈の違いも露呈し、両国の主張が対立する構造となってしまったのです。

 

冷戦による東西対立により、アメリカが「千島列島の範囲」という「解釈の違い」を生み出すことによって、日ソが接近しないよう仕向けたのではないかと思われます。1960年のグロムイコ書簡で、ソ連が「日本から全外国軍隊の撤退」つまり「アメリカ軍の日本からの撤退」を求め、日本国内へのアメリカの影響力を排除しようと試みたことから、「日本」は地理的に東西陣営対立の前線となっていたと考えられます。

 

つまり、北方領土問題は、戦後の冷戦による東西対立がもたらしたものであり、現代においてもアメリカとロシアの対立が続いているため、日本は依然、板ばさみの状態となっているのです。そのため、領土問題の根本的な解決には至っていないと考えます。

カテゴリー: アジア

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