パレスチナ問題の進展

 

パレスチナ問題に対するアメリカの行動

エルサレムは、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の聖地が共存するモザイク都市です。

その宗教的特徴から、国際社会ではイスラエルの首都とは認められていません。

仮に、国際社会がエルサレムをイスラエルの首都と認めてしまうと、世界中のイスラム教信者、キリスト教信者を敵にまわすことになります。

 

アメリカのトランプ大統領は、このエルサレムをイスラエルの首都として、正式に認めたのです。トランプ大統領が経済界出身であることを考えると、ウォール街のユダヤ人はないがしろにできないのかもしれません。アメリカの金融市場は、ユダヤ資本であふれている為、ユダヤ人の世論を無視すると、政治的・経済的に不利な立ち位置へ追い込まれる可能性があります。

トランプ大統領ほどの企業家であれば、ユダヤ資本の力はよく把握しているはずです。

 

さらに、エルサレムをイスラエルの首都として認めることに加えて、トランプ大統領はパレスチナ自治政府を支援する国連機関への援助額を大幅に減らすことを発表しました。いよいよ、アメリカのパレスチナ問題への干渉が高まってきました。パレスチナ問題とは、イスラエルとパレスチナ自治区との間に生じている領土問題で、イスラエルが建国された時から約半世紀にわたって対立が続いてきました。

 

もともと、アメリカとイスラエルの関係は外交関係の枠を超えた、宗教的なものです。アメリカ国内のユダヤ人が、経済界や政治界と強いつながりを持っているため、歴代の大統領たちもイスラエルとの関係には常に注意を払ってきました。トランプ大統領の行動は、これまでのアメリカとイスラエルの関係をさらに発展させようとしている可能性が高いです。

 

イスラム国の勢力が縮小して、ようやく地域の和平が進もうとしているときに、新たな争いの火種が生まれかかっています。トランプ大統領がビジネスマンであることを踏まえると、戦争を起こして、企業に利益を得させようとしている可能性も考えられます。戦争が起こると、大量の武器・弾薬が必要になりますので、それらを生産する企業は潤います。

 

トランプ大統領の任期が着実に縮まっていく中、何かしら目に見える成果を出したい意図が援助資金減額から伝わってきますね。

 

ヨーロッパの影響力が弱体化

パレスチナ問題を引き起こす元凶をつくったのは、フランス、イギリス、ロシアです。互いに秘密協定を結び、現在のパレスチナ地域を山分けしようとしました。ところが、度重なる中東戦争、冷戦におけるアメリカとソ連の台頭で、イギリス、フランスの国際政治上の影響力は弱体化しました。

 

現在のパレスチナ問題においては、ヨーロッパの影さえ踏めません。それもそのはずで、現在、ヨーロッパ諸国は自国の難民問題に手を焼いています。難民問題への対処が遅れている理由は、難民を受け入れるのを良しとしない右派勢力が力をつけてきたためです。

 

ただ、ヨーロッパ各地で台頭している右派勢力は、ヒトラーが政権を掌握したときと同じように、民主的なプロセスを経て右派勢力が台頭してきているので、こればかりは抑制することができません。

 

日本でも、最近の国会中継を見て分かる通り、もはや議会制民主主義が機能していると言えません。(50~60代の大人が、小学生のような質疑応答をしたり、ヤジを飛ばしているのが現状です。同じ日本国民として、恥ずかしい限りです。)

力をもった政治家が、ワンマンで政治を動かす事態が増えるということは、歴史を鑑みると、「戦争」に帰結するケースが大半です。

最悪の結果だけは、防がなくてはなりません。

国際政治を学ぶのにオススメの本①

 

国際政治というと、なにかとニュースで話題になるものに目が移りがちです。

ただ、現代の国際政治は、過去に起こった出来事や国際政治の理論で説明できることも少なくないです。

国際政治の歴史や理論は、書籍から学んだほうが質が高く、安価で済みます。

今回は、私がオススメする国際政治に関する本をご紹介していきたいと思います。

 

1. 『国際政治学をつかむ』(有斐閣)

 

こちらの本は、国際政治学をはじめて学ぶ際に、もっともおすすめの入門書です。

国内外で活躍する国際政治学者たちが、それぞれの専門領域について初学者にも分かりやすいよう解説しています。

国際政治学の基本理論や歴史など、おさえておきたい知識が網羅されています。加えて、理解を深める際の関連書籍も紹介してくれています。

この関連書籍紹介が、とても秀逸でして、国際政治学者たちがおすすめする書籍が載せられています。

紹介されなければたどり着かないであろう本も載っているので、『国際政治学をつかむ』を軸にして、学びを広げていくことができます。

今までは、初学者向けの体系的な入門テキストが、国際政治学の分野で確立されていなかったのですが、『国際政治学をつかむ』はこの入門テキストになり得ると思いますね。

 

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2. 『国際政治学(New Liberal Arts Selection)』(有斐閣)

 

『国際政治学をつかむ』と同様、有斐閣からの出版です(個人的に、有斐閣は社会科学系のテキストを編纂するのが最も上手いと思ってます)。

こちらの本は、国際政治の「理論」に関する解説が秀逸です。

リアリズムやリベラリズムといった国際政治の基本理論はもちろん、ゲーム理論など最新の理論をもちいた分析も掲載されています。

国際政治の歴史に関しても解説がなされていますが、理論も含め、全体的に少々文章が固い印象です。

ただ、情報量は申し分ないので、読み応えは非常にあります。入門書感が強すぎるのを好まない方であれば、この本が国際政治学の学び初めに最適かと思います。

 

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3. 『国際政治史 ー世界戦争の時代から21世紀へー』(名古屋大学出版会)

 

こちらの本は、国際政治の歴史に関する記述が充実しています。通常の世界史のテキストでは語られないような、外交の細やかな意思決定過程を知ることができます。

国際政治は、静的なものではなく、「動的」なものであり、国同士の意思決定が国際政治の縮図を決定づけていることが、この本を読むとよく分かります。

執筆者の佐々木雄太氏は、国際政治史研究の第一人者で、佐々木氏がすべての文章執筆を行っているのも好感がもてます。

歴史の流れを正確に把握したい場合は、なるべく1人の執筆者がすべての章を書いているほうが望ましいです。

章ごとに執筆者が変わると、スポットごとの詳細な情報は得られますが、歴史の流れが分かりにくくなります(学者によって、歴史認識に多少の差があるので、仕様がないことですが)。

 

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4. 『イラクとアメリカ』(岩波新書)

 

こちらは、現代の国際政治の情勢を方向づけたともいえる「アメリカとイラクの関係」を詳細に解説しています。

新書ですので、ページ数こそ、これまで紹介してきた本と比べると少ないですが、情報の質の高さは、他のイラク関連の本と比べて群を抜いています。

主に、サダム・フセインとアメリカの攻防が描かれており、「なぜ湾岸戦争、イラク戦争が起こったのか」という点を理解することができます。

執筆者の酒井啓子氏は、イラク政治の専門家で、読みやすい語り口で情報をまとめてくれています。

国際政治全体の話とは少しずれますが、一通り理論や歴史を学び終えた後に『イラクとアメリカ』を読むと、国際政治のダイナミズムを感じることができますよ。

 

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まとめ

いかがでしたでしょうか。

 

国際政治に関する正しい知識を得るには、上記で紹介したような「専門書」が最も有効です。

ビジネス書コーナーに置いてあるような簡易的な本だと、情報が足りていないものが大半ですので、初学者の方は特に、専門書を読むことをおすすめします。

まだまだ、紹介しきれないほど国際政治の本がありますので、今後も国際政治の本を定期的にとりあげていきたいと思います。

サウジアラビアはどのような国か

 

トルコ人記者の殺害で国際ニュースを騒がせることになったサウジアラビア、この国が一体どのようなルーツを持っているか、ご存じの方は少ないかもしれません。

中学・高校の社会科教科書では、「原油が豊かな国」ぐらいのことしか書かれていません。今回は、このサウジアラビアについて、一体どんな国なのか、まとめていきたいと思います。

1. サウジアラビアの基本データ

正式名称:サウジアラビア王国

人口:3228万人

面積:215万平方㎞(日本の約5.7倍程)

民族:アラブ人

言語:アラビア語

宗教:イスラム教(主にスンニ派)

アラビア語表記の正式名称は、「アル・マムラカ・ル・アラビーヤ・ッ・スウーディーヤ」といい、「サウード家によるアラビアの王国」という意味です。

宗教はイスラム教のスンニ派が大多数を占めています。シーア派はサウジアラビアでは少数派です。

民族構成は、アラブ人が7割ほどで、その他の3割は外国人です。ちなみに、アラブ人とは「アラビア語を話す共同体」を指します。ルーツは、イスラム教の誕生にまで遡り、イスラム教を信仰し、同じ言葉を話す者としての意識が強いです。私たちがイメージする中東のアラブ人の他に、アフリカ系のアラブ人も存在します。

この民族的な特徴は、ユダヤ人の特徴と瓜二つです。ユダヤ人は、「ユダヤ教を信仰する者」とされていますので、特定の宗教に民族カテゴリーの役割を与えている点がそっくりです。

2.サウジアラビアはいつできたのか

サウジアラビア建国の発端は、意外と新しい年代にあります。サウジアラビアの国王を継承しているサウード家は、1700年台に登場し、アラビア半島地域で他の部族との衝突を繰り返します。

サイード家は、現在のサウジアラビア王国の原型となる国を1902年に建国します。その後、アラビア半島地域の他の部族国家を次々と制圧し、1932年に統一を完了します。ここで、サウジアラビア王国が正式に建国されました。

3. サウジアラビアは昔、貧しい国だった

今でこそ、サウジアラビアといえばオイルマネーで潤っている裕福な国のイメージが強いですが、実は最初から原油で潤っている国ではありませんでした。

現在の原油生産を支えるきっかけとなった油田の発見は1938年のことです。油田が見つかってからも、第二次世界大戦が原因で思ったように開発が進まず、建国から10年程は苦しい時代が続きました。

第二次世界大戦が終結した後、油田開発が本格的に再開され、「石油大国」としての地位を築きあげていきます。1973年の第四次中東戦争の際は、敵対国ならびに敵対国と友好関係のある国に対して、石油輸出をストップする戦略を発動しました。

石油を使った経済・外交戦略により、これに依存する国々はサウジアラビアの行動を否定することが困難になりました。

4.サウジアラビアは政教一致の体制

サウジアラビアは、「コーラン(イスラム教の聖典)」を絶対的なルールとしています。コーランに記載されている内容にそった行動とらなければ、罰せられる社会です。

イスラム教を信仰しているアラブ人にとっては、そこまで苦ではないかもしれませんが、イスラム教を信仰していない外国人にとっては、非常に暮らしづらい国です。

裁判の基準もコーランをもとにしたイスラム法ですので、近代的な司法制度が整っているとは言えません。政治に関しても、イスラム法が第一のルールとなっています。

5. サウジアラビアはサウード家が支配する絶対君主制国家

サウジアラビアの語源からも分かるように、サウジアラビアはサウード家によって建国された国です。そのため、現在でも国政の主要ポストはサウード家によって独占されています。外交上の意思決定もサウード家が主体となって行います。

サウード家に逆らえば干されてしまう、とまでは確証を持って言えませんが、少なくともサウード家と良好な関係を持たなければ国内で高い地位を得ることは厳しいとされています。

この絶対君主制の国と同盟関係にあるのがアメリカです。サウジアラビアはアメリカ軍のサウジアラビア国内での駐屯を認めており、国外のアラブ諸国から非難を受けています。

サウジアラビアとしては、石油の大口輸入国であるアメリカとは良好な関係を持ちたい思惑があります。対して、アメリカも中東地域で即座に軍事行動を取れるよう、サウジアラビアとの同盟関係に前向きな姿勢です。

サウード家がアメリカを国内に招いたことに対して、当時サウジアラビア国内でイスラム聖戦士として活動していたオサマ・ビン・ラディンは憤慨し、後にアメリカ同時多発テロを引き起こします。

6. トルコ人記者殺害にサウード家は関わっているのか?

政治体制からも分かるように、今回起こったトルコ人記者の殺害に、サウード家が関わっていないと言うほうが無理があります。

残念なことに、日本国内のニュースでは、トルコ人記者殺害についてそこまで報道されなくなってきました。今後のサウジアラビアの行動は、BBCなど外国の主要メディアから集めるしかありません。

国際関係論・国際政治学を学ぶ際は、外国語が必須!?

 

「国際」政治学や「国際」関係論というように、国際という冠をつけているからには、英語などの外国語が必要であるというイメージが先行しがちです。

実際のところ、国際関係を学ぶ際に外国語は必須なのか、意見をまとめていきたいと思います。

 

1. 国際関係の情報は海外メディアのほうが充実している

 

国際関係の情報を集める際、ロイターやYahooニュースを利用する方が多いかもしれません。

 

ただ、実際に情報を集めた方ならお分かりかと思いますが、「情報量」が不足しているため、何が原因で記事内容の出来事が起こったのか、判定するのが難しいです。

 

これは、国際関係の記事に限ったことではないのですが、「出来事」や「結果」のみが淡々と書かれているため、結局、その背景は別の情報源にあたらないと分かりません。

 

このような事態を招くなら、最初から情報が充実したメディアにアクセスしたほうが効率が良いです。

 

残念ながら、日本語で書かれたメディアの中で、国際関係を事細かに報じているものは現在の所、見当たりません(これを打破するために、当サイトは「日本一、国際関係の情報が充実しているメディアを目指しています)。

 

情報が充実しているメディアは、私の知る限りでは「BBC」です。

 

BBCは、イギリスのNHKのようなもので、ヨーロッパの国際関係はもちろんのこと、中東情勢やアフリカ情勢、アジアの情勢まで幅広く情報をカバーしています。

 

BBCは、一応、日本語版のサイトもありますが、こちらにBBCのすべての記事が翻訳されている訳ではないので注意してください。

 

BBCの記事を読めるレベルの英語力があると、情報収集の質が段違いに上がります。

 

もちろん、BBCがすべてとは言いません。しかし、現状ではBBCよりも国際関係のニュースが充実した(しかも無料で見れる)メディアはないので、こちらを頼らざるを得ない状況です。

 

 

2. 現地のメディアから情報を得られる

 

たとえば、スペインとイタリアの関係を調べる際、BBCを使って情報を仕入れるのも良いですが、現地のメディアの情報を得られると、情報戦では優位に立てます。

 

日本を例に挙げれば、安倍内閣の外交方針を調べる際に、日本の新聞を読めれば、かなり詳細な情報を得られます。

 

「ローカル」な情報を得て、それを「グローバル」な分析に使うのです。

 

今はGoogle翻訳の精度が向上したので、翻訳にかけるだけでも情報の輪郭は得られますが、こまかいニュアンスを把握するためには、やはり外国語の知識が必要となります。

 

もし、特定の国について調査・研究をする場合は、その国の言語は必ず読めるようにした方が良いです。これは、国際関係論や国際政治学を学んでいる人に限らずです。

 

まとめ

 

外国語の習得には、様々な意見があるかと思います。

 

私自身の見解としては、国際関係論、国際政治学を学ぶ際は、外国語の知識がなければまともに情報収集できないので、修得は「必須である」と考えます。

 

ただ、どのレベルまで自身が求めるかにも左右されます。

 

自己研鑽に励むことを苦に思わない方は、外国語習得に時間をかけてもよいかと思いますね。

 

外国語を読めるか否かで、「得られる情報量に差がでる」こと、これだけは100%事実であると断言できます。

 

 

英会話のために「使い方」まで英文法を深く学ぼう

国際政治学と国際関係論の違いとは?

 

国際政治学、並びに国際関係論と呼ばれる分野はしばしば混同されがちです。ただ、実際は両者には微妙に違いがあります。個人的には、二国際政治学と国際関係論の違いとは?つの学問のルーツ(派閥)が違うと考えているのですが、今回はそんな国際政治学と国際関係論の違いについて、解説していきます。

1. 国際政治学とは?

国際政治学とは、国家間で発生する外交上の問題、並びに国際社会全体の問題を政治学的な視点から分析する学問です。国と国との間で発生する政治的な問題は、そのほとんどが戦争、紛争に繋がるリスクをもっているため、国際政治学は戦争の原因と過程、結果を分析する学問とも言えます。

国際政治学において、分析を行う際は主に2つのアプローチがとられます。1つは、理論的アプローチで、もう1つは歴史的アプローチです。それぞれのアプローチについて確認していきましょう。

1-1. 理論的アプローチ

理論的アプローチでは、国際政治を支配しているであろうルールを規定して、そのルールに沿って国家がどのように行動するかを分析します。いわゆるリアリズムやリベラリズムといった政治理論を当てはめるわけです。

最近では、国際政治の理論にゲーム理論が台頭してきて、国際政治理論にも数学的な思考が導入されつつあります。

1-2. 歴史的アプローチ

歴史的アプローチてば、外交や戦争の歴史から、帰納的に国際政治や国家間の関係を分析します。歴史的アプローチに重点を置く国際政治学はしばしば国際政治史、外交史とも呼ばれています。

史学と学問範囲が被るため、差別化するために国際政治史、外交史では一次資料の徹底した分析が必須となっています。

2. 国際関係論とは?

国際関係論とは、政治学、経済学、社会学、心理学、史学などありとあらゆる人文社会科学を導入して、国家間で起こる諸問題を分析する学問分野です。日本に国際関係論という分野が確立され始めたのは、太平洋戦争が終わった後です。東京大学が国際関係論確立の発起人となり、学際的な学問としてスタートさせました。

国際関係論が扱う問題は多岐にわたります。戦争・紛争問題はもちろんのこと、経済格差や安全保障、ジェンダー問題、地域研究など挙げればきりがありません。それだけ、様々な方向にベクトルを向けている学問であると言えます。

3. なぜ国際政治学と国際関係論は混同されやすいのか?

 

国際政治学と国際関係論が混同されやすい理由として、両分野で重なる箇所があることがあげられます。国際関係論の枠のなかで、政治学的なアプローチを取っている人は、国際政治を扱っている人と分野が被ります。分析方法も、そこまで違いはありません。強いて違いを言うのであれば、国際政治学は政治的な観点から、国際関係論は政治以外の観点にも触れながら分析を行う、という点です。

ただ、やっていることは外から見れば似たようなものなので、国際政治学と国際関係論が混同されてしまう原因になっているのだと思われます。

4. 国際関係論を学問として認めていない?

国際政治学者の中には、国際関係論を学問分野として認めていない人もいます。他の学問から理論や知識を借りているだけで、「国際関係論」としてのオリジナルの理論がないと批判しているのです。国際関係論を扱っている学者からすると、「そもそも国際関係論は、学際的なものであるから、単一の理論をもつ必要がない」としています。東京大学が、国際関係「学」ではなく、国際関係「論」として確立させたのも、このような認識かあったからだと考えられます。

5. まとめ

国際政治学と国際関係論は、厳密にいうと同一の分野ではありません。ただ、重なる箇所があるのも事実であり、多くの人が両者を混同してしまう理由となっています。

今後、もし国際政治学、国際関係論に触れる機会がありましたら、2つの違いに注意した上で、考察を深めて欲しいと思います。

イスラエルとはどのような国か?

 

以前に投稿した中東政治の根幹に関する記事で、イスラエルという国が登場しました。このイスラエルという国、中東の政治情勢を把握するには切っても切れない国です。今回はイスラエルについて、基本情報や建国過程などをまとめていきます。

 

イスラエルの基本情報

 

民族:ユダヤ人が中心、その他にアラブ人など

言語:ヘブライ語、アラビア語

宗教:ユダヤ教、イスラム教、キリスト教など

首都:イスラエル政府が主張している首都はエルサレム(国際的には認められていない)

面積:2.2万㎢(日本の四国ほど)

人口:約868万人

 

 

ユダヤ人とは?

 

イスラエルは、1948年に独立を宣言し、建国されました。民族構成はユダヤ人が多数を占めています。ユダヤ人は、古代から存在する民族で、歴史上では度々悲劇の対象となっています。

ユダヤ人は、1948年のイスラエル建国まで自分の国を持たない流浪の民族でした。そのような困難な状況の中でも、ユダヤ人が今日まで子孫を残すことができた理由は「ユダヤ教」の存在です。ユダヤ教は、徹底した宗教教育、並びに学問教授を掲げていて、ユダヤ人としてのアイデンティティを絶やさないよう教えが受け継がれてきました。そのため、ユダヤ人は他の民族からは「内向的で暗い」というレッテルを貼られることが多く、迫害の対象とされるきっかけとされました。

国を持たないユダヤ人が生き残るためには、第一に「お金」が必要であり、そのお金を管理・運用するために金融業に就くユダヤ人が多くいました。そのDNAは現代にも引き継が得れ、今や世界的な投資銀行のトップはユダヤ人が大多数です。その反面、「お金に魂を売っている」とキリスト教徒から揶揄されることもしばしばありました。ヴェニスの商人に登場する「金貸しシャイロック」はまさに典型的な例です。

ユダヤ人の定義は難しい?

「ユダヤ人」を民族として定義することは非常に難しいです。なぜかというと、ユダヤ教に正式に改宗して、ユダヤ教の宗教機関にそれが認められれば、「ユダヤ人」とされるためです。このため、白人系のユダヤ人もいれば黒人系のユダヤ人もいます。

さらに、若い世代で顕著になっているのですが、両親がユダヤ教信者でも子供は信者ではないというパターンです。ユダヤ教を信仰していない場合、「ユダヤ人」とは言えないので、「イスラエル人」と呼んだ方が正確です。このように、ユダヤ人という定義自体が民族定義として曖昧な状態の上で、イスラエルは建国されたのです。

 

 

イスラエルが独立するまでの道

それでは、実際にイスラエルが建国に至った経緯を確認していきましょう。

第一次世界大戦期

1914年に第一次世界大戦が開戦した後、イギリスは当時オスマン帝国(今のトルコ)に支配されていたアラブ人たちに反乱を促すため、ある約束をアラブ人たちと交わしました。それは、「オスマン帝国が滅んだ後、アラブ人地域の独立を約束する」というものでした。この協定をフサイン=マクマホン協定と言います。この協定だけ見ると、イギリスは民族独立を手助けする紳士に見えますが、実はイギリスは紳士とは正反対の行動に出ます。

1916年、イギリスはフランス・ロシアとの間で、オスマン帝国の領地を分割する秘密協定を結びました。これをサイクス・ピコ協定と言います。この秘密協定によって、中東地域を上記の3国が山分けすることが確認されました。サイクス・ピコ協定で定められた地域とフサイン=マクマホン協定で決められたアラブ独立地域は、厳密にいうと被っている訳ではないのですが、この秘密協定をアラブ人側に伝達しなかったというのがイギリスの失敗でした。

さらに、1917年、イギリスの外務大臣バルフォアがイギリスのユダヤ人コミュニティの中心であったロスチャイルド宛てて「パレスチナ地域でのユダヤ人の居住地域建設」を約束する書簡を送りました。ユダヤ人に、パレスチナで自分たちの国をつくることを半ば認めたのです。これをバルフォア宣言と呼びます。

この結果、中東地域には「イギリス・フランス」(ロシアは、革命のためソビエト社会主義共和国連邦となり、サイクス・ピコ協定から離脱)、「アラブ人勢力」、「ユダヤ人勢力」が入り混じることになりました。現代の中東和平問題の元凶がここで形成されてしまったのです。

第二次世界大戦期

第二次世界大戦が始まるまでに、多くのユダヤ人がパレスチナ地域への入植を開始しました。「パレスチナでユダヤ人の土地を広げる」という確固たる意志を持って移民した人もいましたが、多くはドイツやポーランド、ソ連でのユダヤ人迫害から逃れるために来た人々でした。同時期、ユダヤ人の学者や富裕層は、アメリカへ移民しています。世界的に有名な物理学者、アインシュタインもその一人です。

ドイツでのホロコーストが深刻さを増す中、ユダヤ人たちの間では「どの国に行っても、最終的にユダヤ人は迫害される。ユダヤ人が安心して暮らせる国をつくるしかない。」という思想が広がり始めました。

イスラエル建国へ

残酷なホロコーストの実態が明らかになっていく中、ユダヤ人がパレスチナに国をつくることはやむを得ないという同情的な国際世論が漂うようになりました。ユダヤ人にとってはまたとない追い風です。

ただ、この世論に対して反発する人々が存在しました。パレスチナ地域でもともと暮らしていたアラブ人たちです。アラブ人たちからしてみれば、今まで暮らしていた場所を急に奪われることと同じですので、ユダヤ人たちの行動に対して、強く反発しました。パレスチナ地域の周辺に位置するアラブ人国家(エジプト、サウジアラビアなど)もユダヤ人の入植に異を唱えます。

周辺国との対立もあり、単独で独立を目指すことは困難でした。ここで支援の手を差し伸べたのがアメリカ合衆国です。アメリカは、第二次世界大戦の際、多くのユダヤ人知識人や実業家を国内に受け入れたため、国内ではユダヤ人の政治勢力・経済団体の力が増していました。ユダヤ人国家の独立を傍観しているままだと、国内から反発が出る可能性があったのです。

アメリカや世界中のユダヤ人コミュニティからの支援もあり、1948年、ユダヤ人国家であるイスラエルが建国されることになりました。

ユダヤ人にとっては、念願の母国誕生です。反対に、アラブ人たちとっては、ユダヤ人に対する憎しみを抱く元凶となりました。

 

中東政治の根幹

中東情勢を考える際に大切なこと

数年前、テレビのニュースで頻繁に扱われていたイスラム国(IS)は今や全然取り上げられなくなりました。BBCなどを見ると分かる通り、勢力が縮小したとはいえイスラム国の活動は続いています。

日本の国際ニュースの質、ひいては時事ニュースの質は落ちるばかりです。場当たり的な報道が多いため、物事の流れが掴みにくいのです。情報不足を補うためには、書籍や専門誌を読む必要があります。逆に言えば、自ら情報を取りに行く人と行かない人で情報格差が広がっているとも捉えられます。

中東情勢を考えるときに大切なことは、中東の歴史、特に第一次世界大戦以降の歴史を知る必要があるという点です。パレスチナ地域には、もともとアラブ系の人々が定住していましたが、ヨーロッパ列強の秘密協定によって、独断的に領土が分割され、半植民地状態にされてしまいました。無理やり支配区域が設定され、現地の人々は苦しみました。

第二次世界大戦後は、ヨーロッパは中東から徐々に手を引き上げ始め、代わりにアメリカが介入してきます。世界中のユダヤ人たちの支援によってパレスチナに建国されたイスラエルも中東の地域情勢を複雑怪奇なものにしてしまったのです。

三度にわたる中東戦争

中東地域は4度の中東戦争によって、荒廃してしまいました。石油資源をもつ豊かな国と持たざる国で国力に差がつき始めたのです。

持たざる国のひとつであったイラクは、イスラム主義を掲げるイランの監視役として、アメリカから武器を貰っていました。そのイラクを率いていたのがサダム・フセイン大統領です。

フセイン大統領は、饒舌な演説で国民から絶大な支持を集めていました。ただ、イラクは石油資源があり余っていた訳ではありません。不足する資源を調達するために隣国のクウェートへ侵攻しました。

この行動が、アメリカの逆鱗に触れたのです。アメリカは、イラクのクウェート侵攻を阻止するべく、国連安全保障理事会でイラク軍への攻撃の採択を取りました。その後、国連軍をもってして、イラク軍への攻撃を開始しました。

イラク軍はなすすべなく、クウェートから撤退します。この戦争が、いわゆる湾岸戦争というものです。

ご存知の通り、フセイン大統領は湾岸戦争から約10年後、再びアメリカの前に姿を表します。湾岸戦争は、イラク戦争への布石なのです。

イラク戦争への道

2001年9月11日、アメリカで同時多発テロが起こりました。発生当時、リアルタイムでワールドトレードセンターが崩壊していく様子を見たことを今でも鮮明に覚えています。

同時多発テロを起こしたのは、オサマ・ビンラディン率いるアルカイダです。アルカイダという組織は、イスラム主義に基づくジハード(聖戦)を肯定しており、イスラムに反する国・組織をすべて攻撃対象としています。

アメリカはイスラム主義に反する国として、アルカイダの標的にされたのです。同時多発テロを受けて、ブッシュ大統領は報復作戦に打って出ます。

当時、アルカイダの潜伏先とされていたのがアフガニスタンです。アフガニスタンを統治していたタリバン政権が、オサマ・ビンラディンを匿っていると噂されていました。

アメリカは同時多発テロ首謀者の引き渡しをタリバン政権に求めましたが、タリバン政権はそれに応じず、結果、アメリカはアフガニスタンへの侵攻を開始しました。

圧倒的な火力を背景に、タリバン政権はなすすべなく崩壊していきます。アメリカは、アフガニスタンに新しい政権を立て、民主的な国家にしようと画策します。

ただ、アメリカが思う程、簡単にアフガニスタンを統治することはできませんでした。度重なる自爆攻撃、ゲリラ部隊による奇襲などによって、統治にあたっていたアメリカ軍が徐々に削られていきます。

泥沼のアフガニスタン統治の始まりでした。

アメリカは、自国の民主主義的な思想を他国に輸出するという義務感に近いイデオロギーを昔から持っています。これを中東地域にも当てはめようとしたのです。

中東地域では、イスラム教をはじめとした土着の宗教文化が定着しており、民主主義といっても何のことやらといった状態です。

アメリカの民主主義の輸出が、戦後日本でうまくいった理由はすでに民主主義の思想が文化人や学者、政府高官の間で広がっていたためです。日本での統治政策の成功をアメリカが未だに引きずっているように見えてなりません。