中東政治の根幹

中東情勢を考える際に大切なこと

数年前、テレビのニュースで頻繁に扱われていたイスラム国(IS)は今や全然取り上げられなくなりました。BBCなどを見ると分かる通り、勢力が縮小したとはいえイスラム国の活動は続いています。

日本の国際ニュースの質、ひいては時事ニュースの質は落ちるばかりです。場当たり的な報道が多いため、物事の流れが掴みにくいのです。情報不足を補うためには、書籍や専門誌を読む必要があります。逆に言えば、自ら情報を取りに行く人と行かない人で情報格差が広がっているとも捉えられます。

中東情勢を考えるときに大切なことは、中東の歴史、特に第一次世界大戦以降の歴史を知る必要があるという点です。パレスチナ地域には、もともとアラブ系の人々が定住していましたが、ヨーロッパ列強の秘密協定によって、独断的に領土が分割され、半植民地状態にされてしまいました。無理やり支配区域が設定され、現地の人々は苦しみました。

第二次世界大戦後は、ヨーロッパは中東から徐々に手を引き上げ始め、代わりにアメリカが介入してきます。世界中のユダヤ人たちの支援によってパレスチナに建国されたイスラエルも中東の地域情勢を複雑怪奇なものにしてしまったのです。

三度にわたる中東戦争

中東地域は4度の中東戦争によって、荒廃してしまいました。石油資源をもつ豊かな国と持たざる国で国力に差がつき始めたのです。

持たざる国のひとつであったイラクは、イスラム主義を掲げるイランの監視役として、アメリカから武器を貰っていました。そのイラクを率いていたのがサダム・フセイン大統領です。

フセイン大統領は、饒舌な演説で国民から絶大な支持を集めていました。ただ、イラクは石油資源があり余っていた訳ではありません。不足する資源を調達するために隣国のクウェートへ侵攻しました。

この行動が、アメリカの逆鱗に触れたのです。アメリカは、イラクのクウェート侵攻を阻止するべく、国連安全保障理事会でイラク軍への攻撃の採択を取りました。その後、国連軍をもってして、イラク軍への攻撃を開始しました。

イラク軍はなすすべなく、クウェートから撤退します。この戦争が、いわゆる湾岸戦争というものです。

ご存知の通り、フセイン大統領は湾岸戦争から約10年後、再びアメリカの前に姿を表します。湾岸戦争は、イラク戦争への布石なのです。

イラク戦争への道

2001年9月11日、アメリカで同時多発テロが起こりました。発生当時、リアルタイムでワールドトレードセンターが崩壊していく様子を見たことを今でも鮮明に覚えています。

同時多発テロを起こしたのは、オサマ・ビンラディン率いるアルカイダです。アルカイダという組織は、イスラム主義に基づくジハード(聖戦)を肯定しており、イスラムに反する国・組織をすべて攻撃対象としています。

アメリカはイスラム主義に反する国として、アルカイダの標的にされたのです。同時多発テロを受けて、ブッシュ大統領は報復作戦に打って出ます。

当時、アルカイダの潜伏先とされていたのがアフガニスタンです。アフガニスタンを統治していたタリバン政権が、オサマ・ビンラディンを匿っていると噂されていました。

アメリカは同時多発テロ首謀者の引き渡しをタリバン政権に求めましたが、タリバン政権はそれに応じず、結果、アメリカはアフガニスタンへの侵攻を開始しました。

圧倒的な火力を背景に、タリバン政権はなすすべなく崩壊していきます。アメリカは、アフガニスタンに新しい政権を立て、民主的な国家にしようと画策します。

ただ、アメリカが思う程、簡単にアフガニスタンを統治することはできませんでした。度重なる自爆攻撃、ゲリラ部隊による奇襲などによって、統治にあたっていたアメリカ軍が徐々に削られていきます。

泥沼のアフガニスタン統治の始まりでした。

アメリカは、自国の民主主義的な思想を他国に輸出するという義務感に近いイデオロギーを昔から持っています。これを中東地域にも当てはめようとしたのです。

中東地域では、イスラム教をはじめとした土着の宗教文化が定着しており、民主主義といっても何のことやらといった状態です。

アメリカの民主主義の輸出が、戦後日本でうまくいった理由はすでに民主主義の思想が文化人や学者、政府高官の間で広がっていたためです。日本での統治政策の成功をアメリカが未だに引きずっているように見えてなりません。

 

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