以前に投稿した中東政治の根幹に関する記事で、イスラエルという国が登場しました。このイスラエルという国、中東の政治情勢を把握するには切っても切れない国です。今回はイスラエルについて、基本情報や建国過程などをまとめていきます。


イスラエルの基本情報


民族:ユダヤ人が中心、その他にアラブ人など

言語:ヘブライ語、アラビア語

宗教:ユダヤ教、イスラム教、キリスト教など

首都:イスラエル政府が主張している首都はエルサレム(国際的には認められていない)

面積:2.2万㎢(日本の四国ほど)

人口:約868万人


ユダヤ人とは?


イスラエルは、1948年に独立を宣言し、建国されました。民族構成はユダヤ人が多数を占めています。ユダヤ人は、古代から存在する民族で、歴史上では度々悲劇の対象となっています。

ユダヤ人は、1948年のイスラエル建国まで自分の国を持たない流浪の民族でした。紀元前597年に起こったバビロン捕囚を皮切りに、ユダヤ人たちは他国に連れていかれ、故郷の国を失います。その後、ヨーロッパ各地に点在(ディアスポラと呼ぶ)して、ゲットーと呼ばれるユダヤ人居住地をつくり、生活していきます。その暮らしぶりは、決して豪華なものでなく、貧困に喘ぐユダヤ人が大勢いました。

 

そのような困難な状況の中でも、ユダヤ人が今日まで子孫を残すことができた理由は「ユダヤ教」の存在です。ユダヤ教は、徹底した宗教教育、並びに学問教授を掲げていて、ユダヤ人としてのアイデンティティを絶やさないよう教えが受け継がれてきました。そのため、ユダヤ人は他の民族からは「内向的で暗い」というレッテルを貼られることが多く、迫害の対象とされるきっかけとされました。



国を持たないユダヤ人が生き残るためには、第一に「お金」が必要であり、そのお金を管理・運用するために金融業に就くユダヤ人が多くいました。そのDNAは現代にも引き継が得れ、今や世界的な投資銀行のトップはユダヤ人が大多数です。その反面、「お金に魂を売っている」とキリスト教徒から揶揄されることもしばしばありました。ヴェニスの商人に登場する「金貸しシャイロック」はまさに典型的な例です。


ユダヤ人の定義は難しい?


「ユダヤ人」を民族として定義することは非常に難しいです。なぜかというと、ユダヤ教に正式に改宗して、ユダヤ教の宗教機関にそれが認められれば、「ユダヤ人」とされるためです。このため、白人系のユダヤ人もいれば黒人系のユダヤ人もいます。

さらに、若い世代で顕著になっているのですが、両親がユダヤ教信者でも子供は信者ではないというパターンです。ユダヤ教を信仰していない場合、「ユダヤ人」とは言えないので、「イスラエル人」と呼んだ方が正確です。このように、ユダヤ人という定義自体が民族定義として曖昧な状態の上で、イスラエルは建国されたのです。

 

正統派ユダヤ教徒の存在

 

同じユダヤ教を信仰しているユダヤ人の中でも、その信仰度合いには差があります。中でも、「正統派ユダヤ教徒」と呼ばれる人たちは、職を持たずに信仰の道を極めています。日本で言うところのお坊さんに近いですね。ユダヤの教えに忠実に生活するため、しばしば現代的なユダヤ教徒と衝突することがあります。また、正統派ユダヤ教徒は国から支援を受けられる点もあり、不満の矛先を向けられることもあります。正統派ユダヤ教徒の人たちと一般的なユダヤ教徒の対立が、今後表面化していくリスクがありますね。

 


イスラエルが独立するまでの道


それでは、実際にイスラエルが建国に至った経緯を確認していきましょう。

 

古代・中世

 

紀元前の時代、ユダヤ人は自分達の母国を有していて、その名前を「ユダ王国」と呼びました。ただ、バビロニアなど周辺の大国との戦争に敗れ、ユダ王国は滅亡してしまいます。

 

その後、ユダヤ人たちは各国に点在して、自分達のコミュニティを作っていきます。ただ、どの国においてもユダヤ人は圧倒的な少数派であったため、迫害の対象となります。

 

迫害が深刻化したのは、ヨーロッパにおいてキリスト教が広まってきた時期からです。



第一次世界大戦期

 

1914年に第一次世界大戦が開戦した後、イギリスは当時オスマン帝国(今のトルコ)に支配されていたアラブ人たちに反乱を促すため、ある約束をアラブ人たちと交わしました。それは、「オスマン帝国が滅んだ後、アラブ人地域の独立を約束する」というものでした。この協定をフサイン=マクマホン協定と言います。この協定だけ見ると、イギリスは民族独立を手助けする紳士に見えますが、実はイギリスは紳士とは正反対の行動に出ます。

1916年、イギリスはフランス・ロシアとの間で、オスマン帝国の領地を分割する秘密協定を結びました。これをサイクス・ピコ協定と言います。この秘密協定によって、中東地域を上記の3国が山分けすることが確認されました。サイクス・ピコ協定で定められた地域とフサイン=マクマホン協定で決められたアラブ独立地域は、厳密にいうと被っている訳ではないのですが、この秘密協定をアラブ人側に伝達しなかったというのがイギリスの失敗でした。



さらに、1917年、イギリスの外務大臣バルフォアがイギリスのユダヤ人コミュニティの中心であったロスチャイルド宛てて「パレスチナ地域でのユダヤ人の居住地域建設」を約束する書簡を送りました。ユダヤ人に、パレスチナで自分たちの国をつくることを半ば認めたのです。これをバルフォア宣言と呼びます。

この結果、中東地域には「イギリス・フランス」(ロシアは、革命のためソビエト社会主義共和国連邦となり、サイクス・ピコ協定から離脱)、「アラブ人勢力」、「ユダヤ人勢力」が入り混じることになりました。現代の中東和平問題の元凶がここで形成されてしまったのです。


第二次世界大戦期


第二次世界大戦が始まるまでに、多くのユダヤ人がパレスチナ地域への入植を開始しました。「パレスチナでユダヤ人の土地を広げる」という確固たる意志を持って移民した人もいましたが、多くはドイツやポーランド、ソ連でのユダヤ人迫害から逃れるために来た人々でした。同時期、ユダヤ人の学者や富裕層は、アメリカへ移民しています。世界的に有名な物理学者、アインシュタインもその一人です。

ドイツでのホロコーストが深刻さを増す中、ユダヤ人たちの間では「どの国に行っても、最終的にユダヤ人は迫害される。ユダヤ人が安心して暮らせる国をつくるしかない。」という思想が広がり始めました。

 

イスラエル建国へ


残酷なホロコーストの実態が明らかになっていく中、ユダヤ人がパレスチナに国をつくることはやむを得ないという同情的な国際世論が漂うようになりました。ユダヤ人にとってはまたとない追い風です。

ただ、この世論に対して反発する人々が存在しました。パレスチナ地域でもともと暮らしていたアラブ人たちです。アラブ人たちからしてみれば、今まで暮らしていた場所を急に奪われることと同じですので、ユダヤ人たちの行動に対して、強く反発しました。パレスチナ地域の周辺に位置するアラブ人国家(エジプト、サウジアラビアなど)もユダヤ人の入植に異を唱えます。



周辺国との対立もあり、単独で独立を目指すことは困難でした。ここで支援の手を差し伸べたのがアメリカ合衆国です。アメリカは、第二次世界大戦の際、多くのユダヤ人知識人や実業家を国内に受け入れたため、国内ではユダヤ人の政治勢力・経済団体の力が増していました。ユダヤ人国家の独立を傍観しているままだと、国内から反発が出る可能性があったのです。

アメリカや世界中のユダヤ人コミュニティからの支援もあり、1948年、ユダヤ人国家であるイスラエルが建国されることになりました。

ユダヤ人にとっては、念願の母国誕生です。反対に、アラブ人たちとっては、ユダヤ人に対する憎しみを抱く元凶となりました。

 



カテゴリー: Middle East中東

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